私たちの知覚は解釈的な活動を介して心がこしらえたものである。
しかし、それは心のなかの映像であると同時に身体の外でも存在しうるのだ。
もし知覚が心の内側にも身体の外側にも存在するのなら、心もまた身体の外へ拡がってゆくのではないか。
私たちの心は外にでて見えるものすべてに触れることができる。
遠くの星を見れば心は天文学的な距離を超えて拡がり、その天体に触れる。
主体と客体はまったく見分けがつかなくなる。私たちは知覚を通して外界を内部にとりこむのだが、私たちもまた外界へ拡がってゆくのである。

– 世界を変える七つの実験 – ルパート・シェルドレイク

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岡本太郎は19歳で渡仏し、22歳の若さで抽象芸術運動の、ど真ん中に迎えられるわけです。そのときのメンバーの顔ぶれは巨匠ばかりで。しかも同時にシュルレアリスムの連中ともつきあっている。いわば、世界選抜チームを渡り歩いたわけで、人脈にしろ、キャリアにしろ、言うことなし。戦争が終わって、パリに戻っていれば、うまくいくのは目に見えていた。だけど、帰らなかった。なぜか?いわば太郎は、草野球しか知らない国からひとり大リーグに渡った男だ。帰ってきたら母国はまだおかしなルールで草野球をやっていた。それを見て、誰からも頼まれてないのに、このガラパゴスをなんとかしなきゃ。それがおれの仕事なんだ、と勝手に思い込んだんじゃないかと思うのです。だって、太郎は滅茶苦茶、真面目な人だから。芸術とは何か、人生とは何か、大衆に向かって、それを言い続けた。だけど、結局伝わらなかった。死ぬまで「残響の強い無理解」の中にいた。晩年テレビに出た時も、彼はお笑い芸人まがいに見られていたし、ちょっと風変わりな、いわば奇人変人の類というか、好奇な目で見られる存在に、なっていた…。「岡本太郎って、なんだかすごい人らしい」そう言われながら理解もしなければ親しみもない、その状態でさらされていた。それでも、彼は岡本太郎です。ぼくの最も尊敬する芸術家のひとりです。

– youtubeのとあるコメント –

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And when we looked outside
Couldn’t even see the sky
How do you pay the rent
Is it your parents
Or is hard work dear
Holding the atmosphere
I don’t wanna live like that

– Sleep on the floor – The Lumineers

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6:25
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

6:26
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

6:27
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

6:28
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

6:29
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

6:30
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

6:31
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

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