Daily Archives: 2018年5月13日

“大部分の人はメタファーなどなくとも、日常生活はなんら痒痛を感ずることなくやっていけるものと考えている。
ところが、われわれ筆者に言わせてみれば、それどころか、言語活動のみならず思考や行動にいたるまで、日常の営みのあらゆるところにメタファーは浸透しているのである。われわれが普段、ものを考えたり行動したりする際に基づいている概念体系の本質は、根本的にメタファーによって成り立っているのである。”

– ジョージ・レイコフ「レトリックと人生」-

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“例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だと解る。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。
菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。
それほど、黙って物を見るということ事は難しいことです。
菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けて入れば、花は諸君に、かつて見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。”

– 小林秀雄「美を求める心」 –

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