Daily Archives: 2021年11月10日

退屈は、マインドが覚醒に近づいたときに起きる。
退屈するということは、人生の生き方に関するむなしさや、無意味さについて、大いなる理解が生じつつある最初の兆しだ。 



もし、あなたが逃げずに退屈を見つめ続ければ、爆発が起こる。
ある日、退屈の中を深く見ていると、突然に、あなたは自分自身の無の中を刺し貫く。
退屈を歓迎し、自分から進んで退屈の中に入り、退屈がやってくるのを待つのではなく、退屈を探求するのだ。
禅寺では、毎日、同じ動作が何回も何回も続く。一日中、決まり切った日程だ。すべてが退屈を助長する。
もし、あなたが観察し、観察し続けると、退屈はどんどん大きくなり、どんどん強烈になり、そしてピークに達する。
永久に続くものはない。車輪が向きを変える時がやってくる。
もしあなたが極限まで行くと、最高地点まで行くと、そのとき、変化、変容、覚醒、悟り、何と呼んでもいいが、それが起きる。
 
ある日、突然、退屈があまりにも大きくなる。あなたは息が詰まりそうになる。それによってあなたはほとんど死にそうになる。あなたはそれに圧倒される。
逃れる方法がないように思える。
退屈の強烈さと大きさが頂点に達したとき、車輪が反転する。
突然、退屈が消える、そして、そこには悟りと三昧が現れる。あなたは無の状態に入る。
そのとき、もう退屈はどこにもない。あなたは生の究極の無を見たのだ。あなたが消えたのだ、誰が退屈するだろうか? 何に退屈するだろうか? あなたはもう存在しない。あなたは消滅している。
偉大なスピリチュアルな現象だ。だから、野生の牛は退屈しないのだ。彼らは完全に幸せで楽しんでいる。人間だけが退屈する。



知性はどうやって退屈を避けることができるだろうか? それは不可能だ。
知性とは物事をありのままに見ることを意味している。



どんな行動も退屈をもたらす。頭の良い人はそれが分かっている。
だから人は退屈について瞑想しなければならない。
退屈から逃れる道はない。それならば退屈の中に入ってゆきなさい。それがどこに導いてくれるのか見なさい。
そして、あなたが退屈の中に入り込み続けると、それが覚醒へと導いてゆく。

– Osho –

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