Daily Archives: 2022年6月20日

「よく聞きなさい、友よ、よく聞きなさい! 私もおん身も罪びとである。 現に罪びとである。 だが、この罪びとはいつかはまた梵になるだろう。 いつかは涅槃に達するだろう。 仏陀になるだろう。 さてこの『いつか』というのが迷いであり、たとえにすぎない! 罪びとは仏性への途中にあるのではない。 発展の中にあるのではない。 われわれの考えでは事物をそう考えるよりほか仕方がないとはいえ。 ——いや、罪びとの中に、今、今日すでに未来の仏陀がいるのが。 彼の未来はすべてすでにそこにある。 おん身は罪びとの中に、おん身の中に、一切衆生の中に、成りつつある、可能なる、隠れた仏陀をあがめなければならない。

「シッダールタ」 – ヘルマン・ヘッセ –

Posted in Text | Leave a comment

あらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ!つまり、一つの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。思想でもって考えられ、ことばでもって言われうることは、すべて一面的で半分だ。すべては、全体を欠き、まとまりを欠き、統一を欠いている。崇高なゴータマが世界について説教したとき、彼はそれを輪廻と涅槃に、迷いと真、悩みと解脱とに分けなければならなかった。ほかにしようがないのだ。教えようと欲するものにとっては、ほかに道がないのだ。だが、世界そのものは、われわれの周囲と内部に存在するものは、決して一面的ではない。

「シッダールタ」- ヘルマン・ヘッセ –

Posted in Text | Leave a comment

戦争から戻ってきて、私は重い病気になりました。あちこちの病院をまわり、ついに年老いた教授のもとにたどり着きました。その人が主治医になりました。薬よりも言葉で治してくれた。私の病気を説明してくれたんです。「もしあなたが、十八歳や十九歳で前線に出たのなら、身体ができていただろう。でもあなたは十六の時だったから、まだまだ若くて、身体がひどくトラウマを受けてしまった」、と。「もちろん薬はある」と先生は説明しました。「薬でも直せるが、ほんとうに健康を回復したいなら、生きていたいんなら、私の唯一の助言は、結婚して、できるだけたくさん子供を持つことだ。それしか救いようはないな。子供を一人産むたびに身体は回復していく」

「戦争は女の顔をしていない」- スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ –

Posted in Text | Leave a comment