Monthly Archives: October 2024

どこをめくってもアンバランスばかり目に入ってくるぼくらの存在、それへの感受性が<衣服>という支えを呼び込むのだけれど、衣服はそのアンバランスを裏返し、ぼくらの小さな<自由>に変えてくれる。その自由とは、時代が陰に陽に強いてくるあるスタイルへの閉じ込めに抗って、「こんなのじゃない、こんなのじゃない」とつぶやきながら、たえずじぶんの表面を取っ換え引つ換えする、あのファッション感覚のことだ。それは、人生の「はずれ」を「はずし」へと裏返す感覚だ。じぶんが背負ているさまざまの人生の条件、そこにはひとそれぞれ、いろんな不幸、いろんなハンデがある。
そういう「はずれ」を、軽やかで機知にとんだ時代への距離感覚(「はずし」)へと裏返す感覚、それがファッション感覚だとすれば、もっともスマートなひと、流行にそつなく乗り、いずれマジョリティもしぶしぶついてくるはずのものをいち早くとり入れるスタイリッシュなひと(流行人間)が、じつはもっともアンファッショナブルであるという事実は、逆説でもアイロニーでもないのだ。
はずすこと、ずらすこと、くずすこと。それは職人の美学であり、ダンディズムの極であると同時に、弱きものの抵抗であり、そして着るひとの第一歩でもある。

「ちぐはぐな身体」- 鷲田清一 –

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じぶんの身体というものはその全体をじかに経験できるものではなく、想像的な<像>としてしか可能ではないということ、そしてこの身体イメージこそわれわれが着る最初の服だということをおもいだそう。身体とは断片的な知覚像を想像力をもちいて縫合したものにほかならず、したがってそういう<像>としての身体のシミュレーションという点では衣服と刺青に本質的な差異はない。もし衣服が見えない身体の外皮であるとすれば、ピアシングをその見えない身体に施された刻印としても同じことなのだ。魂にしても身体にしても、表面のこうした変工によってはじめてかたちを与えられるのだから。

「ちぐはぐな身体」- 鷲田清一 –

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